ESDレポート第2号を読む会(東京・新宿会場)
日時:2005年1月13日(木)18:30〜
場所:(社)日本ネイチャーゲーム協会会議室
■参加者の声
<みたか事例について>
- このような地域に根ざした教育活動のちうものは、今日では少なくなってきました。でも、経営についもプラスな団体はやはり稀です。家庭崩壊、学級崩壊、核家族化、地域との断絶、職につけない若者の増加、やりたいことがない若者の増加など、さまざまな問題を解決するツールやきっかけ作りの提供ができるのが、文化学習協働ネットワークさんのようなNPOさんたちのこれからだと思います。これからはスタッフのESDの認識というものを確認することが大事ですよね。
- (インタビューを受けた桜井さんご本人より)当初は自分たちの活動がどのような視点でESDとして捉えられ、記事となるのか、ほとんど検討がつかないような状態でインタビューをお受けしてしまいました。しかし、インタビュー中やその後にESD的な要素を見出そうと活動を見てみると、ただ不登校の自立支援をするための活動としてとらえたり、地域活動として扱えるだけではない、もっと重要な意味をもった(世界の問題とつながりをもった)活動としてとらえることができました。これは自分にとっても非常に大きな発見であり、こどもたちが自分たちの活動の意味を捉えていく上で、多くの学びを生む視点となるのではないかと感じました。(今更ですが、改めて強く感じた次第です)
<やなぎたに事例について>
- 自治公民館での取組みをもう少し詳しく説明してほしい。どのような年齢層の方が参加し、高校生を含めた地域の子供から(商会層←判読難しく、違うかも)までがどのゆな話し合いをしているのか、不安な要素や事例はないのか、それを乗り越えるための世代間交流の視点、方法などを伝えてほしい。その中身が実は都会でも同じような問題を解決する手法につながるのではと思う。
<事例紹介全体について>
- 基本用語の「伝統的知恵」とは別に、ESDの概念として、伝統的な「青年団」、「番屋」などにおける同世代間の地域文化伝承や、取り決めの話し合い、生活の助け合いを通じた教育(学び)は含まれるのか(NPOなどの法人でもない、自主活動グループのような規約ももたない地域生活組織)
- ESDという概念がまだまだ未確定にもかかわらず、このようなレポートを発行、おつかれさまでした。きっといろいろ難しかったと思います。事例紹介された団体は、この取材がなかったらESDという言葉を知らないという団体もあるのではないでしょうか。ESDの取材を受けて返ってきた反応の記事があってもおもしろいと思います。
- 「ESDだ」と思える活動をみつけ、紹介し、事例を横断的に見ることでESDの概念を構築するという考え方に非常に興味をもった。この方法をとるためには、なぜこの活動を「ESD」ととらえると考えたのか、という理由が重要になってくる。よって、事例を取り上げる際に、「この事例のここがESDと言えると考えた」といった項目(すみません、いいタイトルが浮かびません)をもうけると、今後、概念を構築するときに便利だと思う。また、この事例では「何を持続可能でない」ととらえ、生じた活動である、ということも明記されていると、読みやすくなると思う。また、「ESDだ」と思える活動を紹介し事例を横断的に見ながらESD概念を構築すということが目的ならば、そのこともきちんと記述するといいのではないだろうか?そうでないと、ESDレポートに記載されている事例がESDであるととらえられるキケン性が考えられなくもない。特に、ESDレポートだけを見る方にそのようなゴカイを招いてしまうおそれがあるのではないだろうか。仮に、地域の人々が認識する問題を共有し、それに対する市民による活動をESDと考えるならば、ESDでない市民活動はありうるのか?今までの活動がESDととらえられることのメリットの整理があるとうれしいです。
<「サポート体制をつくろう(森良氏)」について>
- 「ESDはそれら(地域にあるさまざまな学習や活動グループ)をつなげ、それを担う主体をはぐくむために展開されるのだ」と書かれているが、それでSDの問題の本質は見えてくるのか?
<その他>
- レイアウトがすばらしい。単色での出力なのに、非常に読みやすい。
- 編集長へ〜非常におもしろいと思いました。もっともっと出てきた意見や疑問が知りたいです。
- こういうのもESDの活動といえるよ、という、新しい活動、世界の動きや議論の中身から出てくる活動もESD-Jから産まれてくるとおもしろいと思う。
- NPOからESD-Jへのニーズアクセスはどのようなものがあるのでしょう。僕的には、もっと国連でそのような政策が持ち上がった背景をおしえてほしかったです(今日の冒頭であったような説明)。

